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東伊豆町の築城石

現存する石丁場の石材に彫られた刻印は、採石者を現す印と言われます。
江戸城天下普請の課役大名、毛利秀就の「伊豆への御ヶ条」には、「一、仕出しそうろう石にも三人のものども 手前切に 相しるしを仕るべく候来年かしら奉行遺し候もの石の善悪見つけ候て せんさく仕るべくため候事」とあり、「手前切り」に印を付け、刻印は採石者並びに石の材質、整製評価のために刻まれました。

分銅紋
谷戸ノ入石丁場、谷戸山石丁場から多数見出される刻印です。
谷戸山石丁場、「分銅紋の谷」と呼ばれる出雲国松江藩主・堀尾山城守が担当した石丁場があり、。
谷戸山石丁場群と谷戸ノ入石丁場群を隔てる沢の両岸の一部から
113個の「分銅紋」が刻まれた刻印石が確認されています。


クルス紋

写真は細久保石丁場に点在する△と+の組み合わせ、クルス紋と言われる刻印です。
西国キリシタン大名が受け持った石丁場が東伊豆町内にはいくつか存在し、
細久保石丁場一帯のクルス紋は羽柴左右衛門大夫こと広島城主の福島正則と言われています。

結三輪違紋
谷戸ノ入石丁場内で多く見ることが出来る結三輪違紋。
「駿府城石垣刻印調査報告書」によると紀伊国和歌山城主、
浅野紀伊守幸長37万4千石の刻印とされています。









「田」紋

左から二点の写真は東伊豆町稲取地区、伊豆急行線稲取駅より下田方向トンネル上の愛宕山石丁場。
山中は石丁場でいくつかの自然石に刻印が刻まれています。
写真は3つの刻印が刻まれた自然石。
右から二点の写真は大川地区細久保石丁場に見られる「田」の刻印です。
サイズは愛宕山石丁場に比べ、約二倍の大きさなのです。
稲取地区、愛宕山石丁場の「田」紋は松平土佐守、細久保石丁場の「田」紋は加賀・前田家の刻印とされています。









釘抜紋
東伊豆町稲取・本林石丁場、向山石丁場に見られる刻印です。
釘抜紋は有馬玄馬頭豊氏(元和7年まで福知山8万石。その後筑後久留米21万石)が
大阪城普請の際、代表紋としています。